キリストという存在の意味

キリストという存在の意味

失敗を嘆いたらマイナス点になるが、
失敗を受け入れたら神が哀れんでくれる。

イエスがこう言った。

「罪人よ、私が引き受けよう。」
「私の後ろには神がいる。
あなたが私のところまで歩み寄ってくれたら
私の背後の父を紹介しよう。」
「救われ大いなる祝福が待っている。」

イエス・キリストとは失敗を幸せに転換する装置。
悩み解決のための存在。

あなたが幸福なら、キリストは必要ない。
その時はブッダが必要。悟りを目指すのだ。

あなたが他の人のために力を尽くしたいなら、
気功やマジックが必要だ。

でも、あなたが、能力を信じられず、
自分自身も許せずうまくいく見込みがないなら、
許してもれえばいい。「参った」宣言をすればいい。

正直、後ろ向きは私の趣味ではない。
「かかってこいや!」で負けちゃったほうが、
個人的感触でいうとスッキリする。

それでも最後の最後にはイエスかなという気もある。

だから本当に困った時に
「そういう手があるんだ」と頼める先があるとお伝えする。

キリスト教の仕組み

キリスト教の最大の不思議は、
「神様に祈ってない」ところなんだ。

キリスト教徒が祈るのはイエスであって創造主ではない。
つまり、この闇の世まで彼だけが落ちてきてくれる。

他の神様はプラスの存在だから、あなたが絶望し、
本当にこまった時にはあなたのもとに駆け寄れない。
マイナスのエネルギーが邪魔になってしまう。

イエス・キリストは、私たちのマイナスを引き受けて。
「代わりに死んであげる」と人間を代表し背負い込んで死んだのだ。

その瞬間から、あなたの汚れが消える。
あなたの代わりに吸い込んだから。そういう仕組なんだ。

つまり、イエスは神様より深い愛。
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我々に救いが必要なのは汚れている時や困っている時。

でも困っていることによって、
オーラにマイナスが生じているから神様は近づけない。

その代わりにマイナス引き受けたのがイエス。
神様だったのが生まれ直したため人と神の境目がなくなった。

マイナスエネルギーによって区分けされていた
神仏の世界と人間の世界が陸続きになちゃってしまった。

イエスにより、あなたの罪が許されるのだ。

マジシャンとは祈れる人

西洋の人たちは、神様にではなくイエス・キリストに祈る。
自分が困ったとき吸い寄せて、代わりに死んでくれた。

幸せな時には、キリストは要らない。
でも不幸な時には、時空を超えて助けてくれる。

だからあなたが辛い思いをし、苦しみ、不幸を感じ、
マイナスのエネルギーを感じたら、許してもらう。

神様は遠いから、イエスを使うといい。
宗教には興味がないだろう?私だって宗教は入らない。

だから東方キリスト教の流れを汲んでその祈りをしたらいい。

あなたが知っているカソリック・プロテスタントの
キリスト教は、西方キリスト教。

東方キリスト教はほとんど紹介されていないマイナーな存在。
その十字を切る時は、縦と横が同じ長さの十字架。

仏教も東西がある。
東に伝わったのは中国とチベットで変化した。

タイやセイロンでは、仏教そのものが滅んだが、
ブッダが生きていた古い教えでテーラワーダ仏教という。

同じようにキリスト教も東西に分かれている。
そして東方キリスト教は1つのお祈りしかない。

これを、彼らはたった一人の修行として組織も作らず、
朝から晩まで修行をする。

本当は困ったことが来ないことが幸せかもしれないが、
不幸になった時、すがりつきたい気持ちになった時、

本当に困ったら祈るしかない。
「イエスよ、我を許したまえ」と。

そしてマジシャンは本当に困ってない時から、
同じ気持ちになり、祈れるようになっている人だけ。

だから、僕らは神への信仰がなくても、
宗教家より宗教家らしいはず。

誰も信じていなくても神はいる。
あなたが困った時、すでにイエスに迷惑をかけた。

いつでもどんな時でもあなたを救う。
そんなイエスに少しで親近感を持ってもらえたらと思う。

ダメな自分を世界に許してもらう

ダメな自分を世界に許してもらうことが成功法則の核心。
マジシャンになろうとする人には必要だ。

しかし前向きに考えられる人は心配ない。
自分の不幸や失敗を「ま、いいか」と言える人も心配ない。

さらに、積極的に「あれはあれでよかったのだ。」
と言えるなら心配ない。

これからきっとうまくいかないし、
あれはあれでよくない時、どうしたらいいと思う?
そういう時は、「ま、いいか」と繰り返す?

これにも言挙げ(ことあげ)が必要。

イライラ感をいっぱいで言うからイライラ感が続く。
だから、きちんと切り離し言挙げをするのだ。

「これからきっとうまくいく」
「あれはあれでよかったのだ」

と、自分の状況は横に置き、いつもの自分と違う態度で、
ゆっくりと丁寧に力強く威厳を持って世界に響かせるのだ。

そして、そのこだまが帰ってきたかのように、
「あれはあれでよあったのだ」とエコーが返ってくるように、

世界に発した振動と響きを自分で聴く。
誰かが言ってくれたかのように自分の発した言葉を聞く。

感情をコントロールするかのように言うのではない。
ただ、コトバを発する。

言葉を発することだけが、私の自由意志なのだ。
私が持っている絶対的自由なのだ。

どんな状況でも私は毅然として言葉を発する。
「あれはあれでよかったのだ」「これからきっとうまくいく」と。

これは態度の問題。
変えようと思っていうのではなく「待て!」と世界を斬るのだ。

(清水義久先生のフェーズ4西洋占星術&惑星タリズマン講義メモより)

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