能力開発の階段と意味

能力開発の段階と意味

たとえば、念力や物質をゆがめる能力は
難易度でいえば「最後の能力」。

透視能力とかは、スキーでいえばパラレルぐらいの話。
気を感じるのはボーゲン。

国体に出るような選手は、
ボーゲンができてないと思うだろうか?
パラレルできないで優勝目指すのはできないだろう?

しかし不思議の世界ではありうる。
生まれつきスキーをやってみたらできちゃった、と。

しかしながらそういう方々は、
なぜ滑れるようになれるかわからない。
その技しかできない。ボーゲンもパラレルもできない。

人をヒーリングすることもわからない。
「助けてください」と言われてもできない。

空間から水晶を出している人でも心の中はズタボロ。
生きているのが辛いってことはあり得る。

私たちは全てできる。
なぜなら後天的な能力者は1個1個作ったから。
そして初心者に教えてあげられる。

ボーゲンはできるし、
パラレルもできる私たちは有利。

気のボールが作れるということの凄さを、
実感できただろうか?

「知」とは何か?

この世界は、
「頭の中で考えて、そうなったと確信し、喜んだ」

それだけで願望実現ができるんだと知ること。

わかっちゃった!
この世界は思った通りになっているのね!!

それを、知という。

人が知るべきことはただひとつ。
この世界はあなたが思った通り。

「思考は現実化する」
そのことに気がついた人を知者という。

「思った通りになる。」
それを「礼」のなかから見つけた時、
あなたの自信となり、あなたの信になる。

そして、「言ったらなる」ということを知る。

知ということを智者の智と書くと、
「知る」の下に太陽がある。

ゆえに、智者の力とはドラゴンの力。
ドラゴンが目覚めるということは、あなたが智者になる時。

でも、「知」に「やまいだれ」が合わさったら?
「痴」になってしまう。とてもわかりやすいですね。

喜びと感動を毎日見つけないといけません。
それが智者の道です。

自分の中になければ、外から見つければいい。
素敵なもの、美しいもの、善きものはたくさんあるよ。

何もなくても幸せよ。
喜びに打ち震える感動を知るべきなんだ。

「礼」の条件

人は毎日、打ち震えるような感動がないといけない。
背筋が、全身がふるえるような感動。

それが起きた時あなたの思いは時間と空間を超えている。
あなたの想いがメンタル感に届いた時身震いが起きる。

願望実現ができたとイメージし、
「そのことがうまくいった」と思う時に、

体の芯から何か一流の芸術作品が生まれたかのような
そういうものがない限り、イメージしたとは言わせない。
寝ぼけただけだ。妄想しただけだ。

自分が成功しうまくいった。
今ここにはない。しかし、

うまくいった喜び、幸せ、満足、
ここに至るための努力、時間、
何度も何度も失敗し、何度も何度もチャレンジし、
ようやく手にする成果。

周りも助けてくれただろう。
いろんな込み上げてくるような思いが、その一瞬の
成功の中に沸き上がってくるようにイメージする。
それを「礼」という。

だから、「はい、目を閉じて、イメージしました。」
という流れ作業は礼ではない。

何が足らないのか?
質がない。感動がない。
自分がうまくいったというくせに。

誰もいなくても、ずっと頑張ったあなたがいる。
負けずにやってきたという想いがあるだろう?
世界はもっと大きいのではないのか?

志望校に合格した大学生より喜んでいないのはなぜなのか?
確信力が、想像力が、足りないんじゃないの?

流れ作業にしないことが一番大事だ。

礼に変わるほどのエクササイズ

願望実現を本気で目指していきたいなら
「うまくいった」ということをイメージ練習をし続ける。

パターンプラクティス、礼として、
来る日も来る日も続ける。すると、確信していく。
感動や感情が伴っていく、

最初の内は映像もあやふやだろう。
だから、ただ言葉で言うだけ毎日毎日繰り返すのだ。
「そんなの当たり前だ!」となるくらいまで繰り返す。

「やっているのに成功しないんですけど。」と言われた時、
「何回やってるの?10万回?100万回?」と聞き返すと、
「そんなにやっていないです。」と全員が言う。

型のように繰り返すと礼になるのだ。
願いが叶ったイメージをそんなにやってないのだとしたら、
回数にもならない。

世界とつながり、礼に変わるほど
エクササイズにしないといけないのだから。

しかもそれは行動する前に、
自分のイメージの中で繰り返せばいいだけのこと。

「礼」には目上の人に大して畏れ敬う気持ちが
入っているということが、わかるだろうか。

あなたの練習は、ただの流れ作業じゃないだろうか?
一球入魂。おなじように一振りで命を込んでいくのだ。

自分の内側を信じる

自分の人生を支える技があるだろうか?
今、自分の材料の中で手持ちでお持ちですか?

人生を支える技は外のものじゃないほうがいい。

例えば盆栽。盆栽をはあなたを支えてくれるかもしれないし。
しかし枯れてしまうかもしれない。

例えばペット。ペットを飼うことが支えになっているかもしれない。
しかし死んでしまかもしれない。

だから、できればこの身このままでできることがいい。
何かを変えていく、知者の道。内側から湧きあがるような感覚。

だから信が育つ。

「信じる」というのは自分の外の何かを信じる事ではない。
もちろんそれも信じるとも言うし言葉の使い方としては合っている。

神様を信じるとか、他人を信じるとか、あなたの外部を信じていても、
あなたではないがゆえに、信じられなくなることだって多々ある。

私はあの人のことを信じていたのに裏切られた・・・。
この会社は大丈夫だと思っていたのに倒産してしまった・・・。

移ろいゆく万物流転にある。
信仰の礎をおいても安定している方が不思議。

そして、信を内側に持つことができなかったなら、
本物とは言えない。自分を信じるのではない。

自分の内側を信じるのだ。
信仰を持っていない、という人にとっての神。
その人にとっての神は、僕も信じたい。

外で何かが起きて、何かをしてくれるから信じられる、
そういう神様は、嘘の神様ですよ

何もしてくれないけど、私の中には神様がいて、
私は信じますというのが本当の信仰。

自分のことを信じられるようになった時、自信という。

以上のプロセスを通った自信は、傲慢にはならない。
傲慢になれない。力強さだけが残る。

能力開発のために必要なプロセスだ。

 

(清水義久先生のフェーズ4西洋占星術&惑星タリズマン講義メモより)

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