5分でわかる倫理社会

今回は、以前セミナーでお話のあった宗教の本質を通して理解する
「5分でわかる倫理社会」をご紹介しましょう。

世界のネットワークの最大集合は、宗教

まず始めに個人がある。次に、パートナーがいる。

そして、家庭ができた。
子供が生まれ、家族が増える。

その家庭が存続する村社会がある。
その共同体が所属している都道府県があり、国家がある。
そして、この国家を越えている、民族の霊性がある。

国家よりも民族の方が大きいんだ。せ
一つの国にほとんど同じ民族しか住んでいないのは日本ぐらい。

他の国では、たくさんの民族が国家の中でひしめきあって分け合って、
生きている。そして、それらはイタリア系だったり、中華系だったり、
いろいろな多国籍軍になって重なり合っている。民族のほうが広い。

でも、さらに広いネットワークがある。宗教だ。
この世界のネットワークの最大集合は、宗教なんだ。

現時点で最大値を取れるのは、宗教だけだよ。
ところが僕ら日本人の多くは、そんな意識はない。

宗教とは、神を信仰することではない

宗教のために、テロが許されるのかな?
宗教って、何ですか?神を信仰することですか?

違うよ。そこもまず間違わないで。
私たちは、宗教を越えていく始まりなんだ。

だから知らなきゃいけない。この世界の限界を。
そして向こう側に越えていかないと。

僕らは、お正月になったら初詣に行く。これは神道。

ところが、数分前は除夜の鐘につきに行っている。
除夜の鐘はお寺だよ。これは仏教なんだよ。

ゴーンと鐘をついて、煙でも浴びた後、隣にある神社に
平気で入っていき「あけましておめでとう」と言っている。
2つは宗教違う。

それどころか一週間前のクリスマスパーティをやっている。
あれはキリスト教。外国人にとっては「Oh My God!」だろう。

ところが、仏教なのかと言われると、そんなつもりはない。
じゃあ、神道に目覚めたかというと、そういうつもりもない。

クリスマスパーティーをしていても、
キリスト教を信仰しているつもりもない。

宗教とは、生活習慣のパターン

宗教は、神様の信仰ではないんだ。

では、宗教とは何か?
それは生活様式、生活習慣のパターンのことなのね。

つまり、ヒンドゥーのインドの神々を信仰しているということは、
インド人がアイデンティティを作るための生活パターンということなんだよ。

イスラムを信仰するということは、
メッカに向かって3時になったら頭下げるとか、

そういう生活習慣を選んでいて、
コミュニティを作っているということに過ぎないんだ。

なぜ、そういうことをする必要があるのか?
言葉も、民族も、肌の色も違う人たちが、
同じ地域で住まなきゃいけないからだ。

同じアパートの隣で、知らない言語が話されていたら、怖くない?
さらに、民族も肌の色も顔の形も明らかに違っていたりする。

多民族国家を作っているということは、そういうことなんだ。
生まれた瞬間からストレンジャーなんだよ。

民族が違うということは、歴史的に引き継いでいる生き方の
パターンが違うということなんだ。

それでも多民族国家では、別の民族が隣の部屋で生活している。
全部同じナショナリズムなんだ。

だから、その国の中での生活パターンを
共通化するアイデアが必要になる。

絶対的な命令を出せる存在としての人を超越した神を設定

民族の歴史的な背景を考えると、
異なる民族で休みが異なることはあるだろうけど

それは、もう政治的な仲間の中で同じ税金を支払う間の中では
統一体としてのパターンを要素として作らないと会社勤務できないんだ。

すると共同体の会社だって、困るわけだ。
サービス業でも無い限り、みんな同じ日に休んでもらわないと。

だから、同じ地域で住むための生活パターンを共通化し、
それを信仰するという形で、多人数の意見をまとめあげるしかないわけ。
それが宗教の実態なんだ。

つまり、同じエリアで固まって住む時に、
肌の色や言語や考え方が違う人達が

1つのお約束として、生活パターンを一体化しませんか?と。
そうすると、仲間意識が作れる。そして、怖くなくなる。

肉屋さんに行ったら、知らない言葉を話しているんだ。
お花屋さんに行ったら、また別の言葉なんだ。全然通じないわけよ。

しかも肌の色も違って、匂いも違ってさ、
何か気味悪いなと思わざるを得ない時に「俺たち仲間だよね?」
と言えるのは、生活パターンが一体化したときなんだよ。

そういうパターンが一致していると、その人が何語で話していても、
仲間意識を作ることができる。

そういうことのお約束の集合体のパターンを、
その地域ごとに宗教と言っているだけなんだ。

そして、多民族国家であるということは、
流動的であり、多数決で意見を合せることが難しい。

だから絶対的な命令として、人を超越した神を設定し
「いい、神様が言っているから。休みは日曜日だから」
「じゃあ、しょうがないですね」となる。

その地域ごとのリズムに合わせた休みの日と
その仲間たちということで、宗教なんだよ。

人が人として生きていくことを選ぶ

日本人は無宗教ではなく、
僕らは、神がない時代の宗教なんだ。

特定の神様を拝まない宗教なんだ。

人が人として生きていくことを選ぶ始まって
以来の宗教を目指すといってもいい。

それは、本当の意味の信仰かもしれない。

この宇宙はコスモスであり、万物は秩序と調和に満たされ、
愛と優しさを持っていて、やすらぎの中に生きている。

人々は神性なる部分を持ち、出来事は日々生成発展している。

そして、いつの日かすべての人はそういう状況に目覚めていき、
なおかつそれらを守っている万物がある。

他の人がそれに同意しなくても構わない。
なぜなら、その人もいつかは悟るから。
だから、強要しない。強制しない。巻き込まない。

やりたい人はやり、やりたくない人は休む。
どちらでも構わない。

無理にいい人間にならなくてもいい。
悪いままでもいい。いつかは、同じだからだ。

そして、困った時だけ使えばいい。
「良い人間になります。ありがとうございました」

こういう新しい価値観の元に、あなたを構築する。
以上、5分でわかる倫理社会でした。
(清水義久先生のフェーズ3継続セミナー講義メモより)

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