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【世界の宗教】医療現場で神仏を使う「チベット医学」

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チベット医学は、今この現代で、神仏を実際に医療現場で使っている医学です。


チベット医学の医師は、すべて僧侶。僧侶にならなければ、
医師試験すら受けられません。
だから、チベットの開業医は、西洋医学から東洋医学、
お祈りまでなんでもできます。


僧侶になり、医学部に入り、ドクターになった時、チベット密教の仕組みに則って、
薬師如来に直してもらう方法を学ぶほど。だてに、数十年間かけていない。


そのドクターコースの中に、薬師如来を呼ぶコースが組み込まれているのは、
世界中でもここだけ。薬師如来は、治療の神でもあり、薬の神でもある。


私たちが味わう不幸の中で、一番最大の不幸である「病気」さえも、
吹き飛ばしてしまう、現世の不幸のことなら、何でも直す究極の存在です。
その薬師如来さんの仏像の両脇には、日光菩薩さんと月光菩薩さんがいる。


日光菩薩と月光 菩薩とは、「太陽と月」であり「陰と陽」の存在。
その中央に立つ薬師如来は、陰陽の力で整えてくれる、


法華経の中には、「薬師如来の章」というのがある。
薬師如来さんがあまりに凄いので、他の菩薩様や神様たちが、
薬師如来のために、このマントラをあげようとか、


このマントラで効果を出してあげるよと次から次へと語っている。
それぐらい、法華経にとっても特別な存在なのです。


(2011.4 清水義久先生のチベット医学と薬師如来講義案内より)

【仏教 気功】マントラは何回言えばいいのか?

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通常は、3回繰り返してワンセット。
でも、何回でもいいよ。


奇数回数言ういう時と偶数回数いう時が
ちょっと違うということだけ覚えておいたらいいかな。


エネルギーを入れるとき、右回りで入れたら入りますよね。
エネルギーを抜くというのは、左回りで取ったりしますね。、


あれと同じ効果が、数によって生まれる。
エネルギーを抜いて浄化したいというのは「お祓い」という。


「お祝い」と「お祓い」。
「エネルギーを入れる」のと「エネルギーを抜く」のと。


エネルギーを入れたいときは、奇数回数を使う。
1・3・5・7・・・


エネルギーを抜きたいとき、浄化したいとき、偶数回数を使う。
2・4・6・8・・・


これは自分を清めている。お祝いのときは、奇数。
基本的にはそれだけ覚えておけばいい。


エネルギーをいっぱい集めたいなら奇数回数。
自分自身を浄化したいとき、お清めしたいときなどの
目的の時は、偶数回数言う。


(2012.1.7清水義久先生 フェーズ3集中セミナーより)

【気功 仏教】悟りの感覚とは?

僕が感じた悟りの最初は、気の感覚だ。
衝撃的だった。


僕は腕周天を当たり前のようにやっていて、ある日突然気づいちゃったよ。
泣いたよ。喜びと、感動と。


悟りの第一歩だ。


気の感覚がはっきりしてきたら、このとき身体の中に熱いボールが
ズーンと通るのが実感できるはずだよ。


あなたが感動しないのは、気の感覚がないからだ。
もっと感じる。もっと実在性を持って感じる。


そしたらこれは、当たり前じゃないことに初めて気づくぞ。


自分の身体との対話。
世界に気を感じる外側の世界。


この2つを交互にやっているようなもんだ。
そして、あるとき気がつく。


「このボールは、何なんだよ?」って。
今、オレの体の中を通っていったときは、
身体の中を通過していく圧力感や暖かさ、しびれ感とともに、
リアルに俺だ。


ところが手を外れた瞬間に、フッと外を知覚している。
そして、この瞬間、また身体の中に入った。


あ、また温かい。
僕の体はどこまで広がっているのだろう?
私の肉体はここで終わらないんだと。


このボールが出た瞬間は、私なのか?外の世界なのか?


さっきまでは、私だ。
出た瞬間から、ワールドだ。
そして、また入ってきて私だ。


でも本当は、このボールが届く範囲が、
私の内側ではなかったか?


ここは私なんだって。
あなたが気の感覚で到達する最初の悟りがそれだ。
それを「大周天」という。


この外側の世界は私です。
この空気は私です。
少なくともこのボールが通る間は。


これが最初の悟り。


2つ目。
メディテーションをやっていき、
この気を運行させるというのも瞑想法だからさ。


気を動かして感じるという瞑想法だ。


こういう瞑想法をずっとやっていると、
何もしないことを感じられるようになる。


頭の中で文書を言わないで、脳の中の言語回路をストップさせたまま、
じっーと何もしない状態が生まれてくるよ。


私達はずっと話している、頭の中で。
自分が話している。


言葉を止められるかい、頭の中の?


ああ、静かにしなくちゃとか、なにかいうじゃん。
そして、言わないときは映像を見ているか、
身体に意識が向いているか、寝ているか。
その4つしかない。


眠らず、身体に注目せず、映像を思い浮かべず黙れたら、
この世界にはなにもない。
これが無念無想だ。


実際には無念ではない。
見ている私がいる。


気功法やっていて、
目を覚ましたら、ここにいること忘れてたってことない?


さっきの練習で、目を閉じて、じーっとしてて。
さー、終了と思って目を覚ました瞬間、
ああ、俺この部屋にいること忘れてたとなったら、うまくできているよ。


それが2番目の悟り、身体を忘れる。


手足がね、溶けた感じがするんだよ。
ここにある手がわからなくなっちゃうんだ。


ここで座って、サマーディに入るとするやん。
そうすると、自分の顔が部屋の中央の天井にあるような感じがする。


自分の手のひらがどこにあったのかがわからなくなっちゃうんだ。
その代わり、後ろから眺められるようになる。


つまり、このワールドが私なんだ。
部屋に溶けちゃった感じがする。


ボディがムニャ~とゴム風船みたいに広がっていって、
この部屋が私のゴム風船の中で、頭が天井の位置にあるかのような。


改めて思う。この世界が私です。と
これが悟りの2番目だ。


(2012.1.7フェーズ3集中セミナーより)


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