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【日本の宗教】山と田んぼ

目に見えない力を、皆さんは信じていますか?

例えば、神様や仏様、イエス様は信じないけれども、
朝のテレビでちょこっと出てくる占いには興味深々。

宝くじを買って当たった時には、
運があった!と大喜びなんて事はあるでしょう。
神様に限らず「運」も目に見えない力だと思います。

今回は、稲作においての信仰についてのお話です。
昔の稲作は、頑張っても最後は天候の運任せでした。

昔は、山も田んぼも同じ神様だった土地が日本の各地にあります。
田植えを行う前に、山から神様をお連れして、
田にある祠や社にお祀りする。無事、収穫が終わると
神様に感謝をして山にお戻り頂く。

このサイクルは、形骸しつつも現代も残っています。
山と田、この二つの間で神様はグルグル巡回している訳です。

八百万の神がいる日本で、
何故このようなまどろっこしい形を採ったのでしょうか。

田は田の神、山は山の神として祀っていれば、
こんな面倒なことはないと思いますよね。

ここで登場するのが「目に見えない力」です。

山とは何か?
昔の人々は山を怖れると同時に敬っていました。
それを、畏敬の念と言います。

山は自然な若々しさを持ち、動物の拠り所になっている場所です。
ここに自然の「目に見えない力」を感じ取ったのです。

田植え前に山から自然の力を分け与えてもらい、
田を山のような自然のエネルギーで潤して欲しい。
利己欲ではなく共同体の運命を担った神頼みをしていました。

皆さん、お神輿を担いだことがありますか?
町全体をお神輿が回る。
これも神社から発った神様のエネルギーの循環と言えます。

正月も似てるかもしれません。
先祖の霊や歳神だったり様々なバリエーションがありますが、
こちらも正月にやって来る神様という「見えない力」を、
おもてなしし、家の繁盛を神様に毎年お願いする。

これは、冬に入り植物などが枯れる姿が、
生命力の減少した結果だと信じられ低下した生命力を上げる
儀式の一つなのかもしれません。

外国の話になりますが、
クリスマスもキリスト教と癒着するまでは、常緑樹を植えて、
常に緑を湛えるモミの樹から生命エネルギーを得ようとする
信仰だったのではないかとの説があります。

このように昔の人々は「目に見えない力」を、
色々な手段を使ってお借りしていたのでしょう。

(スタッフM)

【お祓い】磁石は霊を祓うグッズとは?

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以前、磁石は、超能力を目覚めさせる隠れたパラメータとして、
「磁石で超能力を目覚める」という記事を書きました。


▼【能力開発】磁石で超能力が目覚めるとは?


磁石の他の使い方として、
幽霊や憑依霊、その他人の念などを祓うグッズとしても、
使える。


このような霊や念、など邪気と言われるものは、
くっつく場所が決まっています。


頭の上、大椎の上、背中の上、喉、胸のあたりです。


大椎(だいつい)とは、首を前に曲げると首にできる、
最大の突起の下のくぼみです。


大椎から背中にかけては、邪気が溜まりやすい。
ここに邪気が溜まると、風邪をひきやすくなります。


逆にいえば、ここの邪気を祓うことで、
心身共に、健康に導かれていきます。


邪気とは、気です。気を祓う、
気を入れるグッズとして磁石も使えます。


悪い気は抜けばいいですし。プラスの気は入れればいい。
もし痛い場所など患部があれば、それを応用するのです。


また、気の性質として、右回りに進行します。


ですから、大椎からマイナスの気を抜く時は、
その上で、磁石を左回りにすればよい。


逆に、大椎にプラスの気を入れる時は、
その上で、磁石を右回りにすればいいのです。


手からエネルギーが出る能力の伝授を受けている人は、
その気のエネルギーを同様に使えばよりよいでしょう。


余談ですが、風邪をひく前は、
大椎から背中にかけては、邪気が溜まり、
触ると冷えています。


ですから、その部分にカイロなどを貼って、
温かくすることで、邪気がなくなり風邪もひかなくなります。


プラスの気は、幸せで温かくふんわりと柔らかい、
マイナスの気は、冷たく、ネチョネチョ湿っていたり、
カチンと硬い、そして不幸に導きます。


これらを知っていれば、気の訓練をする前の方でも、
気を扱っていくベースになるでしょう。


ぜひ、試してみてはいかがでしょうか。


(2012.9.23 清水義久先生のフェーズ1小周天セミナーより)

【日本の宗教】仏に覚醒する一番近道を示す「法華経」

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法華経、一言で言うと、すべての生命の中に仏が入っている、
草も山もありとあらゆるものが仏となりうるものを持っている、ということ。


核心部分は、人間の未来は仏である。
あなたは今は未熟だけれども、遠い未来に仏に変わっている、
それが約束された存在だから人間として生まれている、
だから早く修行をしなさい。、ということを言っている。


六波羅蜜とは、法華経で取り上げられた、修行の6つの方法で、
例えば、「布施」とは「与えよ。自分以外の存在にできることをしてあげる。
あなたの我欲が減るだろう。仏陀に覚醒する一番早い道は、利他行である」、
と書いてある。すべての修行はそのためにある。


しかし、それがイコール寄付金ということではない。
お金やご飯など、物質の世界や有限でなかなかあげられない、
融通が利かないかもしれない。お金以外のあなたの気持ち・思い・
生きざま・知恵などを、他の人のために与えれば良い。これが布施の行である。


法華経には、人は誰か他人の為に力を使う時に仏になる、
と書かれている。あなたが、誰かに「やられた!」と思った時は、
自分の事しか意識していない。やられた部分ばかりに意識がいって、
そこから抜け出せない。世界が閉じている。


例えば、買ったばかりの新車にこすった傷を作ったら、
そこがずっと苦になり、その他の部分がきれいなのには目がいかなくなる。
それと同じことを人生でやっていないだろうか? 


しかしそうではなく、やられた時にやられた自分を見ないようにすべきである。
こすった車の傷を見ない。新車でピカピカなところを見る。
自分のことしか意識しないのではなく、他人の為に力を使おうとすると、
あなたの中の一番力強く上等な部分にスイッチが入る、
すると自家発電のように力がどんどん湧いてくる、
というのが法華経を始めとする大乗仏教の教えである。


(2009.7.19 清水義久先生の空海セミナーより)

【日本の宗教】宇宙のすべての情報を包む世界観「華厳経」とは?

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華厳経の世界観とは、世界に存在するものすべて、
どんなものもその内側に光輝く宝を内蔵していて生きている。


土も宝を内包している。ホログラフィ―のように、
ちっぽけな物の断片であっても、そこに宇宙のすべての情報が含まれている。
一枚の葉っぱの中に無限の宇宙がある。


すべての存在一つ一つがすべて、ネットワークで結びあっていて、
どこでおきたことも瞬時で伝わる。相互依存している。


重力・質量とは何だろうか? 
エルンスト・マッハの原理で、質量を持つものは重力で相互に引きあっている。


物質も肉体も、重力を通して、存在して質量を持っているというだけで、
閉じた宇宙の質量全体に瞬時に関わっているのである。
すべての質量を持つ存在が相互にリンクし、ネットワークを形成している、と言える。


物理学の基本原理一つとっても、
石ころ一個が存在するために全宇宙が必要とされる、と言えないだろうか。


華厳経の前提通り、
世界は相互に関係しあいながら同時に存在しているとするならば、
あなたの出した思いは瞬時に伝わり世界に影響する、
あなたの出力で宇宙全体のシステムが変化する、ことが納得できるだろう。


すべての存在は生きている。生きているかのように振る舞っている。
草も山も海もすべてその中に命が宿り光り輝いている。


質量を持ったすべての存在が相互に結びついており、
質量の無いものも相互に結びついている。あなたの思いで宇宙は変わる。


生きているものすべてにその能力があり、
生きていないものにもその能力がある。


でもこれがわからないのは、あなたに自我があるから、
あなたが無明の存在だからである。未来の時空間では人間の意識は悟っている。


これが華厳経の世界観である。
この無限の世界観を、あなたの考え方の根本においてみませんか。


ちなみに、華厳経では、
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ=バイロチャーナ)が主尊の神様である。


空海が密教の世界で信仰している大日如来でもある。
また、東大寺の大仏様は毘盧遮那仏である。


清水義久先生のセミナー講義録より)

【日本の宗教】鏡の不思議「アマテラスをうつす八咫鏡」

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鏡を見ていると不思議な気分になりませんか?

ルイスキャロルの「鏡の国のアリス」のように、
鏡の向こうの空間があたかもあるかのように見えます。

鏡の歴史は、古くからありそれにまつわる話も多々あります。
鏡の向こう側がありそうなのに無い。
この違和感はホラーに繋がることもあります。

皆さんが通っていた学校の七不思議にありませんでしたか?
特定の時間に鏡を見ると不幸が起こる怪談話や、
鏡と鏡を向い合せる「合わせ鏡」を行うと何かが起こる・・・
など、オカルトな話は得意分野ですが、
今回はそれとは違い、古い風習のお話です。

日本の鏡の歴史は祭祀と密接な関係でした。

三種の神器の一つの八咫鏡(ヤタノカガミ)は、
天岩戸(アマノイワト)の神話で出てきます。

天岩戸に、引き籠ったアマテラスを呼び出す為に八咫鏡は作られました。
アメノウズメが天岩戸の前で踊り、あまりの可笑しさに神々は大爆笑。

太陽神である自分が居なくなり、世の中暗いはずなのに、
何故外の神々は明るいのだと気になったアマテラスは天岩戸を少し開けます。

すると鏡が目の前に差し出されて自分の顔が映りまして、
ますます気になったアマテラスは天岩戸から出てしまいました。
以上の出来事から八咫鏡はアマテラスの魂が宿った存在となりました。

アマテラスの孫が、天上の高天原(タカマノハラ)から
地上に降り立つ時に、アマテラスは八咫鏡をお守りとして持たせました。

その時「この鏡は私の魂です。これを私であるが如く大事にしなさい」と、
孫に言い付けているので、三種の神器では別格として扱われます。

かの伊勢神宮も、宮中に置き続けていた八咫鏡を移すためだけに作られた神社です。

古代祭祀においても重要な存在とされていたようで、
鏡を掲げて太陽光を反射させて権力を誇示していたとの説がありますが、
古代祭祀は不明な点が多々あり正式な見解ではありません。

8世紀の和歌集の「万葉集」では鏡に関する面白い歌があります。

十二巻2978
真十鏡   見座吾背子   吾形見   将持辰尓    将不相哉
まそかがみ みませわがせこ わがかたみ もてらむときに あはずあらめやも

遠くへ行く夫に妻が形見として送った鏡の歌です。
簡単に説明すると「この鏡を見て下さい。私の形見です。
どんなに離れていてもこの鏡を持っていれば私に会えますよ。」となります。

昔の感性なので、この歌だけでは理解出来ませんが、
先ほどのアマテラスの話と照らし合わせれば、
「自分の姿が映った鏡を持っていればあなたの傍にいつでも居ますよ」と
読むことができます。

この時代は電話どころか飛脚さえありませんでした。
手紙だって書いても届くか確証はありません。
その時代が生み出したロマンチックな表現だと思います。

鏡の不思議な世界に少し触れましたが、
鏡の世界はまだまだ深いですし、まだまだ解明されていない風習もあります。
今回はそんな不思議な鏡の世界のお話でした。

(スタッフM)


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