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気功をやらなければならない理由

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「風の歌を聴く」ということを試してほしいと思います。


私は街路樹を見るのがとても好きです。
樹が風に吹かれて揺れているのを見るのが好きです。


あるとき、1本の街路樹だけが揺れているところを見た。
隣の樹と1mも離れていないのに、隣は葉っぱが1枚も揺れていない。


揺れている木の葉には風が吹き付けている。
葉っぱが動いている姿を見たら、透明な風が見えてくる。
まるで北斎が、海の波を描いたかのように。


北斎の浮世絵は、一瞬、一瞬、ザブンと泡立ち逆巻く瞬間を固定し、
正確に描いているのをご存知でしょうか?


流体力学などなかった時代に、
渦巻いている波の構造を力学にのっとって描かれている。


ダビンチが描いた、走っている馬の姿や飛ぶ鳥。
それらは、肉眼では見えないし、静止画像でとらえることが
できなかった時代だけれど、これもまた一瞬を切り取って
きちんと描かれている。


■見えないものを見とる眼


鳥が飛んでいったとき、左右の羽の動き、
地面から離れたときの足の形、それらは見ることはできません。


近代人の私たちは見えないけれど、
ダビンチは見ています。北斎も見ています。


なぜだか疑問に思いませんか?
眼が良かったのでしょうか?


確かに、昔の人だから眼が良かったのだろうとは思います。
しかし、それだけではありません。


「知覚・認識」がワンセットです。
何かを見たいと思わない限り、見えてこないものがあります。


先に、見えてきたり感じたりするから、
人生が豊かになるのではありません。


人生を豊かになるものにしようと決めて、
外の世界を見るのです。


入ってくる世界をもっとたくさん受け入れられるように
大きく心を広げて整えるということを準備しない限り、
逆巻く波は見えてきません。風も見えてきません。


あなたが、見たいなと思わなければ・・・。


そして、「見たいな」と思える人の中には、
好奇心があります。


しかし、いくら好奇心があっても、
たとえばお腹が痛かったら見えてこないでしょう。


そのように「何かを見よう」と思うだけでは
まだ足りません。


■見るために必要なもの


先ほど触れた通り、
お腹が痛かったら見えてきません。


つまり、私たちの内部の中に、
ゆとりや余裕がなければだめなのです。


そして、その余裕やゆとりをもたらしているものは、
私たちの外側の世界が楽しく美しく、豊かなものに
満ちている・・・という思いで世界を考えること。


つまり、世界を「善きもの」だと考えるから、
あなたのなかにゆとりが生まれ、
そういうものを眺めてみたいなと思う。
それによって知覚が変わっていく。


もし「オーラが見えたら世界が豊かになる」と思っていたら、
方向は逆ですし、そういう話ではありません。
そういう主張をする方もいますが、この教室では違います。


あなたの知覚力を立ち上げて、世界を認識したときに、
「あなたに見られた世界」が、豊かになっていき、
そして「見えたあなた」も、同様に豊かになっていくのです。


見るという行為ひとつでも、その行為で人生が変わり、
思いが変わり、見え方が変わるように、準備し用意します。


そして、見られた世界もそれにより、
「あぁよかったな」と思えるような見方をしよう、
というのがこの教室で伝えたい話です。


バッハでもいいし、モーツアルトでもいい。
北斎でも、奈良の大仏でもいいけれど、
あらゆるものが語っている言葉は、そういうことだと思う。


それらを造形した人は、世界から切り取ったんだ。
一つの芸術として。その人たちの心の中にあった心は、
世界はキレイで、豊かなものだと、そういう思いだろう。


もちろん、そうではない芸術もたくさんあり、
「人間はこんなにも汚らわしいのだ」と世界を呪詛し呪うかのような
ものもあるでしょう。しかし、そんなものを見るために、
あなたの人生の貴重な時間を使うべきではありません。


なぜなら、それは単純に効率の問題だ。
肉体を持つこの人生は有限なものなのだから。


だから風が見えるように、あなたの心を準備していこう。


■眼で見ることの他にも


私たちは、肌で感じたり皮膚で触れるということがあります。
ご飯を食べたときには、舌で感じたりする。
また風の音を聴くこと。聴覚がある。
入力するスイッチはこの3つです。


逆に、出力のスイッチを考えると、
言葉を発する、身体を動かして何かを表現することだけで、
出力のチャンネルは、案外少ない。


認識というのは、「ただ見えただけ」では意味がない。
たとえば、そのとき私が、「これは黒いマジックペンだ」
という風に、記憶と照合して「これが何かわかった」ときに、
認識ができたことになります。


照合し、照らし合わせることにより、
前に見ているから何だか分かった。


この時、使っているのは「処理」で、
処理のスイッチのメインは、イメージと言葉。
そして肉体の感覚です。


こういう観点から人生を振りかえると、
案外シンプルだと思いませんか。


そして全てに共通しているのは「触れる」ということ。


何かを知覚し、身体や能が処理をするとき、
3つのプロセスすべてに共通している回路は
「身体の感覚」という1つしかありません。


気功は触覚を発達させる技術です。
この教室で「皆さんは気功をやらなければならない」と
言っているのはそういう理由からなのです。

(清水義久先生のフェーズ2セミナー講義録より)



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