引き寄せの法則 - 成功.me

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イメージ空間に感動を

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太陽の位置を確認するのはなぜか?
それは奇跡を起こすため。

奇跡波動はどうしたら起こせるのか?
私たちはいつもそういう発想をする。

何かかをやりたいとき、
「出来ない」という条件は何なのか。

奇跡を起こしたい。
では奇跡を起こさないためにはどうしているのか?

それは、簡単。
奇跡とは人の限界を超えること、
だから、起きるつもりがない。

そこで出来ることはいつもの私が予測できること、
だから、そう予測したことにしかならない。

では、どうしたらいいか?それは、私がやっていながらも、
私以外の世界をイマジネーションの世界に引きずり込めばいい。
思ってもみなかった・・・と。

それが太陽。

わかりづらい微妙な内容だと思うが、
諦めずに考えながら聞いて欲しい。

「天うつし」という技がある。
イマジネーションで空の上、雲の上までいく技だ。

足元に雲海、空には青空と太陽。
そこでエネルギーを十分汲んで持ってこれる人は、
どんな人だろうか?隠れたパラメータは何だろう?

ルーチンワークとしてやっているから、
足元の雲海と青い空と太陽をいつでもどこでも、
どんな時でも、同じく作れるようになる。

しかし、そこには奇跡が起きない。
なぜなら、自分がつくった世界をイメージだと
思って見てるからだ。それはあなたの想像に過ぎない。

だから飽きてしまう。
「はいはい、いつものね。」とそこに感動はない。

そういうふうにはやってほしくない。
なぜなら、奇跡が起きる余地などないからだ。

空を駆け抜ける鳳凰のようにあなたが飛び上がる時、
白い雲を抜けていく時にワクワクしているか?

頭の中の想像が言われた課題をこなす時、
それはうまくできても0点だ。

イメージに感動が必要だ。

「天うつし」の場ですさまじいエネルギーを
もたらすのは、映像のクオリティや精密さではない。

奇跡をもたらすのは、
そのイマジネーションが生きているかどうか、だ。

つまり、あなたが感動を持ちこんでいるかどうか。
あなたがワクワクしているかどうか。

音速の速さでシュンと風を切って上がっている時、
体で感じ、飛び上がり、気づくと足元に雲海で、
360度のパノラマが開かれる。

恐れがあり、ドキドキとした高揚感がある。

そして、そういう気持ちの向こう側に、
ふっと静寂の世界がある。
そのシーンと静まり返った雲の上に自分がいる。

そして、先ほどの嵐のような風は、
どこにいったのかというほど、どこまでも青い空。

この世界、この宇宙でたった一人。
そういう絶景を、自分の経験で出会った時、
あなたは感動したのではないか?

イメージ空間でもそういう感動が必要さ。
そして、そのイメージ空間に喜びや感動があると、
外に漏れる。伝わる。

その人がたとえ、眼を閉じてジーッとしていても、
気がわかる人には、わかります。

そこに必要なのはイメージの完璧性ではない。
あなたの感動によってエネルギーが伝わるのだ。


(清水義久先生のフェーズ2セミナー議事録より)

水の能力はあらゆることに有効

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自分が体調不良の時、
患部はボールを作って自分で清めたらいい。

病気のバイ菌や細菌や疲労物質が、
体の外に黒い水で排出されるように。

心の問題で困った時も、
それらが汚れとなって鼻からも耳からも
眼からも黒いものが排出したと考える。

そして汚れが全部なくなるまでキレイにしたら、
最後は作ったボールに水をイメージして、
「この人がキレイになるように」とする。

実際にやってみると水に変えた瞬間、
気持ちがよいことがわかる。

この世でもっとも記録するのは水。
だから水を使うんだ。

1)合掌
2)「手からエネルギーが出る」×3回
3)ボールをイメージし、
  空気を揉むように気のボールを作る
4)作ったボールを、
  水のボールになったと想像する

この水のボールは
「神火清明、神水清明」や「任脈、督脈」など、
いろいろなバリエーションがある。

小周天の流れである、
頭の上から背中に降ろす督脈と
頭の上から前に降ろす任脈のそれぞれのセンターラインに
このボールを接触させてコロコロと流し捨てていく。

この水のボールは、吸い取ってくれるので、
雑巾がけのように何度もなぞったらいい。

そして、背中側の督脈は「体の問題」
前面側の任脈は「心の問題」だから、
あなたの問題にあわせてボールを流していく。

「手からエネルギーが出る×3回」と作った後、
水球のエネルギーボールを、体の前面、体の後面、
体の右面や左面、体の上面と下面と洗うのだ。

前面、背面の後は、左右上下と、
それを丸ごと全部洗っていったらいい。
それは遠隔で行ったって構わない。

そして、ボールを小さく縮めていき、
頭の上50cmの空間にそっと浮かんでいるのをイメージする。

その浮かんでいる水のボールが、
重力が反転した時、頭の上から水が落ちてくる。
まるで滝行のように、その水で洗われていく現象。

そのイメージを手でフォローしてもいい。
これが、体の外側が全て洗い清められる作業となる。

そして、体の外側が洗い清められていった後、
細胞1個1個の体液も入れ替わっていく。

そう感じながら、その水の流れを妨害していると
思われる場所を探していく。そして見つけたら、
そこにエネルギーを集めるようにして特に水を浴びさせる。

右肩が凝っていると思ったら右側にエネルギー集める。
相手に聞いても「なんともない」と言われるでしょう。
でも、あなたが気になる場所にエネルギーを集めればいい。

「心に入っていけ」と命令を出せば、
エネルギーのクオリティが変わり心も洗い浄めていく。

途中で飽きてしまうかもしれない。
でも、得意技は1つでも持っているといいだろう。
そして、この水のエネルギーは私の得意技でもある。

この水の性質を替えるという水芸だけで、
宇宙次元にまでエネルギーをハイクオリティにしていける。

これで何ともならなければ神仏が出てくるが、
困っている現実の世界はこの水芸がかなり効く。

もちろん物質としての体は時間がかかる。
でも、飽きずにこれを続けていけたら、
この水の能力があなたのものになっていける。


(清水義久先生のフェーズ2セミナー議事録より)

存在そのままを肯定することで幸せがやってくる

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教室をやっていると比較的最初の頃の方から、
こんな質問を受けたりします。

「やっている授業の内容が全然気功ではないのではありませんか?」
「気功教室だと思って参加したのにいつ気功が始まるのですか?」

色々とご意見があると思うけれど、
話していることは全て役に立ちます。

そしてそれを理解していれば、
これから、いろんな先生についたって平気だ。

ただ知ってほしい。
この教室の中は話すばかりで体を動かさないのに、
「気功」といっている意味と誇りを。

私たちはボディワーカーです。
体を整えることで人生を豊かにできると知っている。

生きていることで十分だと体を通して、
存在をそのまま受け入れて肯定できるんだ。

その部分から、あなたの幸せがやってくるはず。

眼を閉じてここにいることを十分祝福できる人は、
世界からの祝福を受けることができる。

ご先祖様に祈り、生きていることを感謝できた時、
感謝力が生まれる。感謝は力、パワーになる。
だから気のボールにつめて放出する事は、強靭な技にできる。

タスクのように「ありがとう、ありがとう」と繰り返す人より、
普段から何気なくでも心から感謝している人だったら
神様はプラスしたくなるかもしれない。

何かを求めちゃいけない場合もあると思うよ。
感謝とか祝福とか祈りとか。汚れてしまうよ。

何も求めず忘れているから、豊かにになる。

「ありがとう」は効く。でもやり方があると思う。
100万回、口先だけで言われるのと、
心から1回言われるのとは違うと日本人ならわかるだろう。

実は日本で鳴いている鈴虫やセミの声を愛でて
「いい音」だと思うのは、日本人だからだ。

それは角田先生の「日本人の脳」という本に書かれている。
母国語としての日本語、左脳としての分離がおき、
脳のシステムとして根本的に違うということがわかる、と。

人生を変えるのは「気」だ。
すべての幸せの根本に気がある。

この手から出るエネルギーは、
根本的に人生を変える打ち出の小づち。

手助けしたいと思う人がいたら包んであげればいい。
次から次への汚れがでてきたらそれを取り続ければいい。

たとえば、ゴボウをもらった時
「このゴボウ、汚れてます!」なんて言わずに、
めげずに汚れを取り続けるものだろう?

そして、どんどん汚れを取っていったら、
どんなひどい人でも、キレイになる時がきっとくる。
その可能性をどんな人でももっている。

絶対に助かるとは言えないし、
先天性の障害もあろう、間に合わないことあろう。

それでも、汚れを取ってあげたらいい。
その分、ぜったいに楽になる。

そう思ってこのエネルギーに要求しなさい。
「このエネルギーだけでなんとかなる」と。


(清水義久先生のフェーズ2セミナー議事録より)

内臓に溜まった感情をなくす方法

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五行の世界では、感情が内臓に溜まると考える。

悲しみは肺、怒りは肝臓、イライラは心臓、
感情というものは各臓器に振り分けて処理をしている。

もう1つは脳にも溜まる。
つまり、脳みその周りと各臓器に、
スモークのような感情がフワ~と漂っている。

そんな時には
「私がエネルギーのボールに入る」とやったらいい。

さらに、それらの感情は漠然とあるのではなく、
明確に場所が決まっている。

悲しみは肺に、怒りは肝臓に、怖れ不安は腎臓に。
そして最初にそこから溜まっていき、
溢れたら体全体に広がっていく。

体全体に広がっている人は、その後ボディに反映し、
元気なさそうになり腰が曲がる。

幽霊もそういう形で出てくるもの。
胸を張った幽霊というのはいない。
「うらめしや~」と胸を縮めた前傾姿勢で出てくる。
その辺がポイントになる。

つまり、悲しくなったら胸を張ればいい。
これが悲しみがなくなる体操となる。

怒りは身体を横に倒し、肝臓を伸ばせばいいだけ。
倒す方向に体重をかけるのではなく反対に体重を乗せるように、
伸ばしたい側を誰かにひっぱってもらってもいいだろう。

恐れや恐怖は背中の腎臓に溜まる。
だから、背中を伸ばし腎臓を伸ばせばいい。

また考える事によって生まれるストレスは、
手を後ろに組み、手を下に下しながらお腹を突き出せばいい。

悲しみは胸を広げる。
怒りは脇を伸ばす。
怖れ不安は前屈する。
考えるストレスは心臓と胃だから、胸を伸ばす。

ゆえに、ラジオ体操はあなたを救います。

あなたの内部はこれで処理できるけれど、
外から良いエネルギーが入ってくるかわからないだろう。

運が良い方がいい。幸せが来るほうが良い。
だから、そういう手順も加える。

「手からエネルギーがでる」と3回言って、
プラスのエネルギーをやってもらえばいいだけ。

「運が悪いな」と思う時は、君が地面しか見ていない。
うなだれている人のところには、天運が来ると思うだろうか?
当然、上向きの人のほうに天運は来るだろう。

これを易の卦の「乾為天」をいう。
つまり、天とつながり、
天運をあなたにもたらすための簡単な気功法。

(清水義久先生のフェーズ2セミナー議事録より)

何もしないことが気功-無駄のススメ-

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地鎮祭では木の棒を4本立てる。

そして、注連縄のようなものや、
紐みたいなもので地面に対して結界を張る。
結界というのは日常用語ではないだろうけれど。

こうすると、たった1本の紐と、
小指ほどの1本の細い棒が地面に立っただけでも、
仕分けが起きてしまう。

内側と外側という区別がつくということ。
つまり、内部の空間が独特の雰囲気を持つ。

「人が目で見たからそうなのか?」と
思うかもしれないが、それは違う。

風水という言葉があるけれど、
「風によって散じ、水によって留まる」
という意味が込められている。

拡散の「散」というのは、
水に出会ったとき、留まってしまう。
それが風水という言葉の語源になった。

あなたの考え方ではなく、
感受性が高まったとき、面白い変化がある。

手のひらをこすり、
十分あたためると気を感じやすい手になる。
そして外側の温度をいろいろ感じてみようと思う。

気功の中に静坐(せいざ)というものがあるけれど、
これは、単に胡坐をかくのではなく、
メディテーションの要素がはいってくる。

気の巡る体に代わっていたった時には
静坐が気持ちよくなっていく。
静けさを感じられる静坐、

その時、おそらくあなたの身体は絶好調であり、
元気いっぱい、健康だ。

だから自分の体のチェックとしてやってみたらいい。
でも胡坐は膝が痛い人は無理にやらなくていい。

適当、快楽原則。

頑張らなくてやっているのに、
静坐が苦しくない境地を目指してほしい。

これを儒教法でいうと「坐忘(ざぼう)」という。
これもステキな言葉なので覚えてほしい。

この教室は体育会系の教室ではないし、
目的そのものとは違う。

「人生の中で無駄なことをやってみませんか?」という提案。
無駄はあなたの人生にとっては無駄ではありません。

効果を求め、目標を定め、邁進する。
そういうことを1日セミナーではお勧めしている。

しかし、長期的スパンで考えた時、
本当に大事なことに「無駄などない」ということがわかる。

なぜなら、やるべきことを定めて進むのは、
ネズミだってできるからだ。それでは勿体ない。

檻の中でハムスターが遊んでいるかのような、
輪っかを回すルーティンな生活は止めていただきたい。

ゆっくりゆっくりでいいから、生き方も、人間関係も、
能力もすべてにわたって変化していこう。

変化を目的としているけれど、
変化そのものを強力に促進したい時こそ、足場を固める。

だから焦って進のではなく、色んな事に対して止まるべき。
1度座って、自分の人生を振り返り「こんなことがあった」と
しっかり確認するかのように、何もしない。

チーゴン(気功)の勧めは、何もしないことにある。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「何かをすること」しか、僕らはしていない。
そして僕らがやろうと思っていることの様々はあるけれど、
「何もしないこと」というのは目標として入っていない。

でも立場変われば、インディアンやラテン系の人々は、
「何のためにそんなに汗かいて働く?」と問うかもしれない。

安定した生活、立派な家、ゆったりした余生。
それはもう僕らはやっている。

砂場で寝転がりながら腰巻1つで
生きているような人だって、のんびり生きている。

どちらが豊かなのだろうか?

そういう生活を手に入れるためにがんばっているのなら、
日常生活で頑張っているのは「手段」になってしまう。

すると「勝ったか、負けたか」
「手に入ったか、入らなかったか」が問題になる。

勝ち組は全体集合の5%、残りは中流。つまり「負け」。
そうレッテルを貼られ、後悔して死んでいく。

それはつまらない。
しかし頑張ることが悪いといっているのではない。

頑張る時は頑張れて、休むべき時は休んで。
そして何もしない豊かさを味わえるように。

このまま走り続けていたら
何もしない豊かさに気がつかないかもしれない。

子供の時は「これがやりたい、あれがやりたい」
と、何もしなくても楽しかった。

大人になった私たちは何かをやろうとすると、
不安が出てくる。夢想家、ドリーマーがいなくなった。

「こうなったら楽しいよなあ」というイメージの使い方を、
いつからかやっていない。リアルすぎる。焦りすぎる。

だから、怖れや不安が先に出てくる。
「どうせできっこない」と、無意識の否定。

子供の頃はなんでも可能性に満ちていた。
可能性と考えない自由さがあった。
そういう感覚がチーゴンに近い。

この時のコンセプトはなんだか分かるだろうか?
それは・・・「まず動かないこと」

今夢を見ても焦るだけ。だからストップする。
自分自身を諦めないために、自分自身を忘れる。

少し矛盾しているけれど、
なにもしなくても、十分元気で、生きるに値する。
それを確認すべきだ。

(清水義久先生のフェーズ2セミナー議事録より)


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