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【修業用語】最高の集中力を作る「読」「念誦」の違いとは?

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言霊と言うぐらい、日本人は言葉を大切にし、
我々のような見える世界も見えない世界も考える者にとっては、
言葉がいかに大切なことはご理解いただけると思います。

用語としてわかっておくと、
理解が深まると思いますので紹介しましょう。

「読」と「念誦(ねんじゅ)」は修業用語として大切です。

「読」とは、文字を目で見ながら声に出すという意味。
実際のテキストを目の前で見て読むことを指す。
昔は音読が全てだったし、普段からやっているでしょう。

しかし、「読」ながらも、「お腹がすいたな」などと
別の事を考えたりすることができます。

対して、「念誦(ねんじゅ)」という仏語がある。

多くの場合、念誦と言った場合は、
心の中で、真言(マントラ)を唱える概念を指します。

その時は、目と閉じなくてもいいですし、
また、イメージや音も必ずしも必要ではない。

「読」と「念誦」の違いとは、
意識が深く入っているか、入っていないかの違い。
念を込めるかのような集中力の違いです。

「念誦」という言葉をもう少し詳しく解説したい。

「念」とは、頭の中で一つの事を思い浮かべること。
音、映像など頭の中で起きていることを一つ選び、
消さずに続けることを念という。

最高の集中力とは、外界の印象を、目を閉じて切った時に、
同じことをわざとイメージの世界で再構成するときに起こる。

だから目でみているコップを見て集中するよりも、
見たコップを目を閉じて思い浮かべることで
さらに深い集中力を発する。これが念です。

実際に、ロウソクの炎の映像や、満月の丸などを、
頭の中から消さずに、持続するような、
蝋燭の瞑想法や、月輪観などの修業が有名です。

そして「誦」とは、音声回路のみを指す。
頭の中で、言葉を言っていくイメージ法。
「あいうえお」という音を聞いて、リピートする。

よって、「念誦法」と行った時、
イメージと音の両方が必要とするケースもある事も
知っておいて欲しい。

お経の音声を頭で聞いているかのように、軽くブツブツ
いうかのように発声して頭で言うことを念誦法という。

お経というのは、そらんじる事ができても、
必ずお経を手で持ち、一言一句追い続けるという方法。

覚えていても、必ず見るのです。
意識が分散させないように集中を増して、唱えるのです。

念仏みたいなもの。念仏は「南無阿弥陀仏」を言う事で、
念誦とは、それ以外のお経全般を含めるというニュアンスになる。

この手の訓練は、密教の根本になっている。
1つの事を思い浮かべ続けることが基礎訓練となります。

それを行っていくことにより、
空・サマディ(三昧)の世界を体験する準備ができるのです。

注:仏教の空(くう)とは、原語はもともと数の0(ゼロ)を表す。
  「我」のない実体のない事。時代や学派により多少異なる。

注:サマディ(三昧)とは、仏教における禅や、
  ヒンズー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態の事を指す。

(2008.7.19 清水義久先生 空海セミナーより)



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