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【憧れ力】植芝盛平先生

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人間が、人間を超えていく部分への憧れ。それは、あなたの知識になり力になります。

塩田剛三先生は、昭和30年に合気道養神館を設立した武術家であり、18歳にして合気道開祖の植芝盛平先生の門に入り、以降常に植芝先生とともに合気道一筋に修業を積まれた方です。

塩田先生は、人によっては植芝先生よりも強かったと言われていたほどの人で、塩田先生は、演武で警察官相手に模範演武を見せるのに、木刀を振り下ろすのを手刀ではらったら、パンとはじいた木刀が50mほど一直線に飛んでいき、たまたまあったドアを突き抜け、その向こう側のコンクリート壁に刺さっていたらしい。

そのぐらい物凄く強い方で、かつ神秘主義が大嫌い。怪しい事やオカルトが大嫌いと言っていた。だから、怪しい話なんかしません。しかし、その塩田先生が「植芝先生は、鉄砲の弾をよけた。どうしてだかわからん」と言ったそうです。

塩田先生の著書「合気道修業」にこのような話が出てきます。武術に興味のある人は読んでみてはいかがでしょうか。人はここまでいくのかと知るだろうし、あの合気道の塩田先生が言うこと自体、非常にインパクトがあり、真実味がある。

空手家の柳田先生は、100メートルの金メダルをカール・ルイスが取った時に、「よーい。(パン!)」と走り出すまでの反応時間をビデオ撮りして、聴覚でパンという音を聞き、動き出そうとして、筋肉が動き出すまでの、神経の伝達速度を測った。踏み出すまでどのぐらい早いのかを調べた所、人類最速は当時、カール・ルイスだった。100メートルの反応速度は、過去一番早かった。

しかし、空手家の柳田先生自身を測ってみると、それよりも早かった。まるで見切り発車で適当にやったのだだろうと思ったため、実験のやり方を変えた。音がなったら「ばん」と叩く方法にしたら、もっと早くなってしまった。不規則にランダムにしても、100発100中。予知しているとしか思えないほどの速度だったそうだ。正確にデータをとればとるほど、科学的にはあり得ない数値になるため、発表をあきらめたそうだ。

このようなとんでも話に驚くかもしれませんが、人間には「火事場の馬鹿力」というものが備わっている。普通の人は緊急時に突然出る能力かもしれませんが、それを自在に出せる人もいるのです。

柳田先生は、子供が乗ったベビーカーが勢いがついて道に飛び出し、ダンプカーにはねられそうになったのを見て、お母さんは悲鳴を上げる前に、子供を救い出しベビーカーをお母さん元通り渡して、元通り歩き出すまでに1秒もかからなかった。一緒にいた弟子たちは、あまりの事に何も言えず、しばらく歩いた後「先生、今のはなんだったのでしょう?」と人はそこまで早く動けるのかと驚いていたそうです。

先に出た植芝盛平先生は、米俵2表(60キロ)をつけて歩いていても、3人がかりでも止められなかったという。下駄に米俵をくくりつけても、スーッと何事もないような速さで動いてみる。相撲取りのような大きな人でも止められなかった。しかし、植芝先生は小柄だったそうです。

満州時代、当時の横綱が、植芝先生が凄いということで、横綱をやめて弟子入りをした。満州までついていった。その横綱がぶつかってくるのを、植芝先生は片手指2本だけで倒した。満州まで同行した新聞記者がインチキだろうと、倒された横綱の腕を見たら、植芝先生の指のあとがついていたそうです。

このように私が知っている何人かの達人たちは、力学を越えている。私たちが知らないだけで、もっと多くの人が凄いことができているのだと思う。そう考えると、ワクワクし人間への可能性、また人間を越える可能性に憧れませんか。そうした気持ちは、あなたに夢と希望を与え、生きる意欲になるのです。


(2009.12.13 清水義久先生 フェーズ2-2回目セミナーより)



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