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【日本の宗教】法華経の教え「生命の平等性」

法華経を憧れた人たちは、ここから何を得ようとしたのか?

それは、生きるのが今よりずっと大変だった時代。ご飯を食べるのもやっと、生活するのもやっと、苦しくて、死んでしまう人が多かったその時代の救いだ。

仏教により、そして法華経というお経により、初めて仏陀は永遠の存在になった。人は永遠の存在かもしれないという思いが出た。

キリスト教を信仰していれば最初からこのようなことは約束されている。神様を信仰し、最後の審判で地獄に落とされなければ天国でとこしえに生きていくとこが決まっている。だから、そこに現実の苦しい生活の安らぎがえられるかもしれない。しかし、仏教には法華経が出てくるまではそのような考えはなかった。

よって、私たち気功をやっているものが学ぶべきことは、本当の意味での大周天です。とてつもないスケールの大周天気功法。無限の空間的広がりと永遠の時間に生きる生命体という二つの考え方の柱になります。

そういう意味で、法華経は、平等性、生きているすべての万物が、平等であるという考え方。片や華厳経は、ありとあらゆる情報のネットワークによってつながるという考え方が相まって大周天気功法になる。

法華経の生命の平等性から、宮沢賢治の童話はできていると考えてもいいだろう。彼の格童話は、いつも狐とか、鳥とか、草花、様々な生き物が人間のように語り、人間とほぼ同じような生命の重要性を感じさせながらでてくる。あれは人間の比喩ではない。本当に彼らのまま。狐は狐のまま、人間と等価交換であり、人間と等しい存在。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の話はまさにその事を伝えている。

(2011.11.23 法華経セミナーより)



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