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渋沢栄一と坂本屈伸道


渋沢栄一は、株式会社を100以上作り、日銀総裁になり、近代日本の経済の礎を作った。彼がいなければ、今日の日本は無かったかもしれない。その彼が、「私が生きながらえたのは、この体操(坂本屈伸道)のお陰である。」と、彼は語っている。



<書籍「小説 渋沢栄一」(津本陽著)より>


その昔、東京湾でロシア船が沈没、真冬で泳げず、船員全員が死亡した。坂本屈伸道の生みの親の坂本謹吾は「人がそれくらいの寒さで死んでしまっていいのか!」と怒ったそうである。怒る所がちょっと変わっているが、彼は、真冬に寒中水泳を行うと宣言した。

しかし、毎年、極寒の冬の海に素潜りで飛び込むものの、泳ぎ切ることなく失敗、毎回意識を失い、死体のようになって浮かび上がってきて、心臓マッサージなど受けて助けられるのを繰り返していた。

醤油1Lを飲んで死にそうになったり、オットセイの脂を塗ったり、ショウガ汁を塗ったりなど、冬の海の遊泳を成功させるために、彼は色々なことを試した。

警察からも厳重注意を受けるものの、「いつの日かきっと!」と彼は果敢に挑戦し続けた。そして遂に極寒の冬の海を泳ぎ切ることに成功した。屈伸道というやり方を発見し、鍛錬し、見事に泳ぎ切ったのだ。

泳ぎ切って上陸した海岸で、彼は警察に逮捕された。「極寒の海を泳げたからといって何なのだ。」と、当時でも、彼は世間から注目も浴びず、バカにされていたのだろう。坂本屈伸道の存在は、歴史に埋もれ、殆ど知られていない。

しかし、渋沢栄一は、坂本謹吾に素直に頭を下げ、教えを請うた。渋沢栄一は元々病気だった。だから、坂本謹吾のような無謀と言えるほど体力のある奴に惹かれたのかもしれない。結果、渋沢栄一は、90歳になっても現役だった。20代の女性に子供を作らせるほど元気だった。

渋沢栄一は凄いと思う。歴史も経済も興味のない私でもスゴイと思うのですから、現実の世界に足をおろしている方だったら、もっと思えるんじゃないだろうか。

自分の分野の一流の人は、あなたのよきサンプリングとなる。
どんな生き方をして、どんな仕事をして、何を語っているのか。できるだけ触れるといいだろう。一流のサンプリングがあなたの中に入ることで、あなたが底上げされることは間違いない。

(2010.6.19 フェーズ2-3回目セミナーより)



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