【世界の人物】人の絶対的な自由を学ぶ「ヴィクトール・フランクル」

ヴィクトール・フランクルは、オーストリアの精神科医・心理学者であり、
第二次世界大戦中、ユダヤ人であるが為にナチスによって強制収容所に送られた。
その体験をもとに著したのが彼の著書「夜と霧」だ。

その本は1991年アメリカ国会図書館の調査で、
「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテン入りし、
読売新聞による「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」のアンケートで、
翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

現在、改訳と旧訳の2種類が出ているという非常に珍しい本だ。
色々と参考になると思う。

彼は、アウシュビッツ収容所に同じ時期に入所した中で唯一残った人物。
収監される時に、妻と子供と別離し、人生をかけた原稿すら取り上げられた。
その虚無とも言える絶望の中で、生き残った。

フランクルが、そこで見つけた秘密をあなたは知っていますか?

収容所では、前向きに生きるポジティブな人がいた。
みんなを励ます良い人。しかし、1年も立つと、元気がなくなった。
そのような状況の時、ポジティブシンキングだけでは、持たない。

プロレスラーのような体力が充実した人たちもいた。
ところがそのガタイの良い人たちがどんどん飢え死にしていく。

飢え死にした人は、今日、ご飯が食べられないから死ぬのではない。
今日苦しくても、未来がある人は絶望しない。明日からご飯が食べられないと、
未来がなくなることで、筋骨隆々の体力が充実した人たちが、今日餓死をする。

彼は学者であるため、知識があった。
何もないっていないスープを見て、カロリーが足らない。
栄養素が足らない、数か月も持たないこともわかっている。

しかし、彼は死ななかった。
しかも、1年以上果物も食べず、ビタミン不足の状態で、敗
血症にかかってもしかたのない環境にもかかわらず、歯槽膿漏が治った。

フランクルはある日、
本人もコペルニクス的展開と書いた、重要な事を体験した。

強制労働のためトラックに乗せられ移動している時、
向こう側の山々に明かりがついているのに気がつく。

彼はこう思う。「あの人たちは、ここで我々が苦しい目に合い、
みんなが死んでいき、明日死んでしまうかもしれない状況を、
きっと知らない。あそこには、お母さんが「ご飯よ~」と言うような、
普通の日常がある。」

あなたならば、そのことに気がついた時、どうしますか?
虚無に落ちますか?憎しみ?絶望?無反応?普通はそうかもしれません。
しかし、フランクルはその日スイッチが入った。

私はこの宇宙でたった一人。宇宙でたった一人だ。
本当はどんな人間も一人ぼっち。だから、誰もが同じ状況。

あまりに、絶望的的な孤独を感じたがゆえに、反転してしまった私は、
宇宙でたった一人だからこそ、絶対的な自由を持っていると。

何をしても一人、助けてくれる人もいない。
だからこそ、私は何をやってもよいのだ。

生きる生きがいと目的と意味は、自分が決める。
それは宇宙でもなく、看守でもなく、死刑執行人でもなく、
自分が作るのだと。そのことに気がつき、そしてこんなことをした。

人生におけるゲームを始めた。
収容所から外に連れ出される時、必ず右足から出る。
夜、粗末なベッドで寝かされてる時、木目を数える。

それは、看守も見破ることはできない。
だから、私を止めることは誰にもできないと。
そして、そのことだけで、彼は、たった一人生き残るのです。

もしかしたら、私たちは勘違いしていないか?
ここには、生きていくための逆にヒントが沢山ある。

生きていくことに価値がなかったら、
生きるに値しないと勘違いしていないか?

そのアクションが成果を生まなかったら、
価値にならないと、想像しているのではないか?

自分にとっての人生の意味は、
その行為にあると決心したためだ。

行為、やること、そのアクションの価値は、あなたにとって重要であれば、
本当の意味はなんでもよいのだ。

私の人生の意味はそこにあると決めたら、
どんなつまらないことでも生命の樹が宿る。
結果的にフランクルは、身体を治し、心を立て直し、助かった。

1000年も2000年もずっとバトンで伝わってくる本たちがいる。
こういう時に、強く清く生きていたいと思った人たち。

哲学として読んでほしくない。理屈ではない。
今より過酷で、生きていくことがやっとの時代で、
目を閉じ、瞑想し、考えていた人たちがいる。

これらはすべてが負けず劣らず、文化遺産だと思いませんか。

(2011.11.19 清水義久先生 できる人の気功術セミナーより)

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